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「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。」箴言7:14 [伝道師のつぶやき]

 ご愛読下さっている皆様、長らくご無沙汰しております。お元気ですか?

 4月末よりばたばたしておりまして、放置状態が続いてしまいましたが、ようやくひと山越えました!ヒャッホー!また更新に励んでまいりますので、これからも宜しくお願いします。

「あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜わった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。」申命記8:10~14

 「困った時の神頼み」という言葉にあらわされる通り、人間困ると神に頼るものです。困りごとを通して、人間は謙遜にさせられ、神により頼まなければならない問題があることを認識します。しかし、問題が過ぎ去って解決すると、途端に傲慢になり、神様を忘れ、感謝しなくなります。

 これは何も一般的な現代日本人の傾向、という訳ではありません。人間全体の傾向であり、実に3000年以上も前の、この聖書の記事にもある通り、信仰者自身の傾向であります。

 神様は目には見えませんが、人間の祈りを聞いて下さる方です。自分のひとり子であるイエス・キリストまでも与えるほどに愛しておられるからです。そして、それぞれに必要なことを見極めておられ、最善をなしてくださいます。

 時にそれは人間の目には無益であったり、苦しい出来事、不条理にさえ思える事も起こります。しかし、神様は、一人一人に最善の計画をもって、導いて下さっているのです。

 苦しい最中にいる時には、神様を敬いますが、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうのもまた人間。その人間の事をよくご存じである神様は、教えます。「もしあなたがたが満ち足りるなら、高ぶるのではなく、神様をほめたたえなさい。」高ぶりや傲慢さは、神様を忘れさせます。そして、神様の教えをさげすみ、自分勝手に歩むようになります。それを聖書で罪、というのです。罪の根本には、人間の高ぶりがあるのです。

 罪から離れて生きるには、何が人間に必要なのでしょうか。それは神様を畏れ敬って生きることです。私たちを愛し、私達に恵みを注いで下さっている、神様に感謝して生きることです。それでも色々間違いがあり、忘れて歩むこともあります。しかし、神様は私たちを赦して下さる方、愛して下さる方、喜んで導いて下さる方なのです。

 キリスト教の礼拝があるのは、実にそのためです。礼拝は誰でも参加できます。神様を賛美し、祈り、悔い改め、聖書のメッセージを聞き、献金を通して自分自身の感謝を、神の栄光のためにささげます。

 是非見学にいらして下さい。献金袋が回ってきますが、意味がわかるまでは、是非何もいれずにそのまま回して下さい。神様の愛と恵みを心で感じるようになれば、そのうち自由に献金する日がくるでしょう。

 神様の恵みがありますように!
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