SSブログ

主は王である [説教]

詩篇99篇1節

「主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。」

 今日、日本において、王と言ってもあまりピンときません。ウィリアム王子の結婚など、芸能人と同じような感覚で見るくらいです。まさに象徴といえます。

 しかし、中東においては、現在も、王が圧倒的な支配力を有する国が存在します。王と親族が政治の要職を独占している、憲法はあってもそれが王の絶対的支配を成立させている、王が勅令を頻繁に発令できる状態など、絶対君主制と呼ぶそうです。良い王様が支配するなら、国民はとても良い状態におかれますが、悪い王様が支配するなら、毎日が不条理と恐怖の連続になるでしょう。

 「主は王である。国々の民は恐れおののけ。」

 聖書の神様は王です。聖書の神様を信じる人々にとって、神様こそが真の王様なのです。神様は、どんな国の王よりも、絶対的なお方です。この方が世界を作り、世界を治めておられます。全ての存在の源であり、全ての法則は、この方によって造られました。この法則は、ご自身の性質に従って、絶対的な秩序をもって存在しています。また、ご自身が望むのであれば、神様ご自身は、あらゆる法則を越えて働くことができます。神様だからです。

 神様の許可がなければ、空気や水、温度は存在できません。神様が許さなければ、私たちは、自分の命を一分も引き延ばすこともできないのです。私たちはふさわしい恐れをもって、神様を敬うべきであります。

 主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。

 「ケルビム」というのは、「ケルブ」の複数形で、天使の一種族?の名称です。エゼキエル10章によると、4つの翼があって、手のようなものがあって、顔は四つあって、車輪がついていて、全体に目がいっぱいついている生き物だそうです。想像するだけで恐ろしいですね。その上に神様が座っておられるそうで、何かの乗り物なのではないか、ともいわれています。ようするに、人間の王が座る玉座も立派だが、神様はそんなものなど比べ物にならない。天使を椅子にして座っておられる、権威ある王だ、地よ、震えよ!というのです。

 人間がそれを聞いて、がたがた震えるのはわかります。しかし、作者はどういう訳か、地面に向かって呼びかけます。「震えよ!マグニチュード5位で?!」中東では基本的に地震が少なく、耐震構造などほぼ必要ないそうです。クウェートでは、世界最高の超高層ビルが建てられようとしています。地震国日本では、恐ろしい大規模災害と結び付けられますが、中東において、「地よ、震えよ!」というのは、揺るぐはずのない確かなものさえも、神様の前では揺るぐものでしかないのだ!という表現になるそうです。

 このあらゆる存在を根底から揺るがすことができる神様が、悪いお方であれば、これほど恐ろしいことはないでしょう。しかし、この方が良いお方であり、愛と恵みに満ちておられるゆえに、私たちは、親しみをこめて、「王よ!」と呼びかけることができるのです。安心して日々生活を送ることができるのです。自由を満喫できるのです。

 あらゆるものを越えて高いお方が、大いなる、恐れおおいお方が、地面にへばりついて生きる、目先のことしか見えないような私たちから、私たちの王、私達の神、と呼ばれる事を喜んで下さいました。私たちを愛するゆえに、私たちを喜んで受けてくださる。大いなる神様に、私たちは愛されているのです。神様が、私たちをご自身の民とされました。だから、私たちは、自分の人生の根底から揺るがされるような時でも、神様が私たちを支えてくださるので、安心する事ができるのです。

ケルビム?.jpg
永田画伯ケルビム?
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。