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伝道師から牧師になりました [伝道師のつぶやき]

去る4月1日(日)、誉田チャペルにて、「牧師就職式」というのがありまして、幼少の頃より面倒をみてくださいました、私の母教会、西船橋キリスト教会の中台孝雄牧師の司式のもと、私永田信昭は、牧師になりました。

お祈りくださった皆様、お祝いに駆けつけて下さった皆様、本当にありがとうございます。
これからも神様の恵みによって導いていただけるよう、お祈りください。

ということで、これから「伝道師のつぶやき」コーナーは、「牧師のつぶやき」になります。

皆様、これからもよろしくお願いいたします!

ルカ23:33~34

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

 イエス様は、罪によって滅びゆく人間を救うために、神のあり方を捨てて、人間になって来てくださいました。イエス様と出会った人は、神様のきよさに触れて、自分の罪がわかるようになりました。多くの人は、自分の罪を悔い改めて、イエス様に従うようになりました。

 しかし、自分の罪を認めたくない人間は、救い主と犯罪者の区別がつかず、世の中を惑わす大嘘つきだとして、イエス様を十字架にかけて殺してしまいました。また、ある人々は、この方は正しい方だ、と知りながらも、反対する人々を恐れて、流されてしまいました。

 自分たちを愛し、自分たちを救いに来てくださった救い主イエス様を、人々は十字架にかけたのでした。

 しかし、不思議なことに、それが神様の救いの計画でした。イエス様の十字架は、まさにその自分で何をしているのかすらも、わからないような、どうしようもない人間の救いのためであったのです。

 イエス様は十字架にかけられ、人々からさげすみを受け、殺されるさなか、祈られました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

 自分を十字架にかけて殺そうとしている人間を目の前にして、イエス様は彼らの赦しを祈られたのです。

 イエス様が十字架で死なれたのは、神の救い主を認めず、嘘ばっかりだ、と言う人間のためです。

 神様は聖書でこう言ってるけど、そんなことないんじゃない?と疑うのは、今も同じ人間の傾向です。イエス様を大嘘つきだとまでは言わないまでも、そのまま受け止める必要ないんじゃない?イエス様は確かにいいこといっぱいしたみたいだけど、今の私たちにはあまり関係ないんじゃない?神様は私たちを愛しているっていうけど、そんなことないんじゃない?人間は罪があるっていうけど、救ってもらうほど、そんなに問題ないんじゃない?

 きっと、私たちが、この時代、イエス様と出会ったとしても、きっとそのように考え、そのように十字架にかけたかもしれません。

 しかし、イエス様は、そのような私達のために十字架にかかってくださいました。十分信じない、聞こうとしない、自分の不確かさを棚に上げて、イエス様を十字架にかけるような私達のために、イエス様は十字架にかかってくださいました。それは、私たちが自己中心に歩み続けるためではありません。悔い改めて、イエス様の十字架を信じて救われるためなのです。イエス様は、私たち罪人のために、命を支払ってくださいました。私たちを神様の民とするためです。

 ですから、私たちは、感謝と喜びをもって、イエス様に従って歩みたいのです。命をかけるほどの愛をいただいているものとして、イエス様を愛し、歩みたいのです。自分の罪の傾向に従うのではなく、イエス様が教えておられる道に、イエス様の愛の力を受けて、今日、歩んでいきたいのです。イエス様はよみがえられ、今日も生きておられます。私たちを導いてくださいます。今日、また、この方の恵みをいただいて、この方にあって、歩んでいきましょう。
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