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30000mの旅路3 [伝道師のつぶやき]

まだやるのか!という、どうでもいい企画第三弾!
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「Big House」・・・どんだけでかいんだろう・・・「次の信号右折」・・・曲がったらどれくらいいくんだろう・・・まあいっか。スルーしまーす
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「きれいな南白亀川いつまでも!」釣りでもしたいですねー。橋から覗き込むと・・・
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あのー、自転車落ちてますけど・・・今度はゴミ拾いの旅もいいかもしれない・・・
しばらく進むと・・・
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おおー!「白里海岸あと4km」!
そして再び「何が出る?」手前2km・・・私はつられゲロの達人です。
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そして再びスーパーハヤシ!
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田舎に行くと必ず見かける怪しいキリスト教的看板・・・うーん、怪しい・・・
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「キリストは人の身代わりに罪を負った」でも、はい、その通りです。どういった団体なんだろうか・・・
そしていよいよ近づいてまいりました、待っていろ、太平洋!
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密漁船・・・あのー、最近ロシアと問題になっているのはそちらでしょうか・・・大々的に看板出してます。
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そしてとうとう・・・
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海だー!!ということで14時すぎに海に到着。土気から以外に近いんですねえ。途中写真を撮りながらふらふら行ったのに、結構早くついたぞ。次回は九十九里の謎に迫る!えっ!まだやるの?

 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 」へブル11:13

 人間は、自分が願った通りの結末を期待するものです。全部かなうことが幸せであるように思います。かなわないまま死んだとしたら、道半ば、のように思います。しかし、神様の計画は、人間の考える通りではありません。

 旧約聖書の時代の人々は、将来、自分達を罪から救う、救い主がお生まれになる、という約束を、神様からいただきながらも、その実現を見る事がないまま、死にました。

 しかし、彼らは、「道半ば、無念・・・」と言って生涯を終えたのではありません。彼らは知っていました。「神様が最善の計画を持っておられる。」だから、彼らは、神様が人生を最後まで導いて下さった事を喜んだのです。後の世代が、その約束を見るようになる事を喜んだのです。彼らにとって、神様と歩んだ人生そのもの、神様そのものが、喜びだったのです。

 「完全な神様が導いて下さる」という人生は、不完全、不明瞭、などということがありません。神様が、ご計画の中で、この時代、この国、この家族、この場所で、この私に、この人生を歩ませて下さった。自分に役割を与えて下さり、自分の人生を通して、この部分を十二分に果たさせて下さった。罪も過ちもあった。でも後に来られる救い主が、あとで何とかして下さる。あとは神様の所で休むだけ!彼らは喜びを抱いて天に召されて行ったのです。

 救い主イエスは、お生まれになりました。聖書で神様が約束されていた通り、彼らの望んでいた通り、十字架によって、その救いを実現して下さいました。

 私達人間は弱いもので、信仰を持っていても動揺することが多々あります。だからイエス様が十字架にかかって下さって、完全な救いをもたらしてくださったのです。人間がしっかり歩めるなら十字架にかかる必要はありません。罪人のために死なれたのです。

 さらにそののちよみがえられた方は、その約束通り、私達と一緒にいて下さいます。よろめく私たちを最後まで歩ませて下さいます。

 自分を見るなら、道半ばっぽい人生を終えるかもしれません。でもイエス様を見上げるなら、違います。不明瞭ではない。不完全ではない。この私の救いを、イエス様が完成して下さった。これが私たちがいただいている約束です。
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