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イザヤ [説教]

イザヤ57:15~19
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。
わたしはいつまでも争わず、いつも怒ってはいない。わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
彼のむさぼりの罪のために、わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。
わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう」と主は仰せられる。

 Jesus has a dream !
 昨年春のWBCのキューバ戦の試合中継で、日本の学生らしき若者が、日本代表チームを応援するために、国旗にKKKと書いて振っていました。ストライク3つ、三振をとってくれ!という意味だったそうです。日本国内では普通らしいのですが、アメリカでは、悪名高き黒人差別グループの名で、周りからやめさせられる映像が全米で流れた。オバマ氏はアメリカで初の黒人の大統領ですが、就任して間もない時の出来事。ほんの40年ちょっと前、アメリカでは人種差別が当然のように行われていました。キリスト教国なのに歪んでいる国ですね…。そこから考えると、黒人の大統領が生まれるとは、歴史的な出来事。

 Martin Luther King牧師は大きな夢を持った。神様が与えた夢。当時の社会では考えられないような夢だった。しかし、彼は大統領の前まで大行進をする事となった。

 “I have a dream.That one day on the red hills of Georgia. the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
 私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤い丘の上で、かつての奴隷の子達と、かつての奴隷の所有者達の子達が、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを

 I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
 私には夢がある。いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住む時が来るという夢が。

 白人と黒人の席が分けられていた時代。店の中で黒人が暴行されても黙認される時代。しかし、その夢は暴力抜きで現実のものとなりました。

 私たちは夢を持っているでしょうか。現代日本において、次世代のために希望を持っているでしょうか?うつ生涯有病率6.5%、100万人の統合失調症、100万人の引きこもり、経済的な問題、病気の問題、変な宗教や、家族の問題、青少年の心、大人の心、高齢化社会、DV、犯罪の増加、低年齢化。高齢化社会。決して夢を見られるような社会ではない。しかし、このような社会だからこそ、大きな夢を持たなければならない。奇跡を起こす事ができる神様がいらっしゃる。神様に期待するなら、夢を持って歩めるようになります。

 なぜこうなったでしょう?わからない。だが、この国が繁栄をむさぼった事は事実。経済的な成功だけを求めて、もっと大事な事を失ってしまっている。堕落して、神様から離れたゆえに起こる、様々な痛みと悩みを今体験している。

 ここで神様が語りかけていらっしゃる、イスラエルの人々もそうだった。ダビデ王、ソロモン王の時代、非常に繁栄した。その後、良い王様もいた。だが、人々の心は繁栄を追い求めて、いつの間にか神様を棄て去ってしまった。それゆえに神様に打たれた。しかし、彼らはなおそむいて、自分の思う道を行った。この時代に生きる、私たちに似ている。

 しかし、神様は憐れみ深い。その彼らを見て、知っているのに、なおも憐れまれ、砕かれた人を癒す方。「いと高き神」「永遠の住まい」「聖なる方」そんな立派な方が、砕かれた人と住まわれるなんて不思議ですね。私たちのイメージは、いと高き方なので、身分の高い人や、偉い人、何かが良くできる高いレベルの人、立派な人、お金持ちの人と一緒にいてくれそう。そういう人こそ、神様が共にいてくださって、祝福されているかのように思う。

 でも聖書の神様は違う。砕かれた人と一緒にいてくださる方。へりくだる人と共にいてくださる方なのです。日本人的なへりくだりは主観的です。「自分が意識的に低くなる」という意味。倫理的な態度。しかし、ユダヤ人的にへりくだる、「シャーファール」というと、客観的にみて、厳しい状況に追い詰められ、絶望感に打ちひしがれた人、をさす。他者の力によって打ち倒され、低くされる事を言うのだそうです。

 神様は、私たちを愛するがゆえに、あえて私たちを追い詰まった状況に置かれることがある。私たちをへりくだらせるため。私たちの魂を、神様から引き離そうとする力から守り、神様を信頼するようにさせるため。わたしたちが意識的にへりくだったから一緒にいてくださるのではない。

 「シャローム、シャローム(平安あれ、平安あれ)、遠くの者(異邦人)も、近くの者(ユダヤ、エルサレム)も、癒そう」

 神様から離れた、罪ある私たちには、本来裁きこそあって当然であり、痛みがあって当然なのです。この社会には、色々な人間の罪の結果が降りかかっている。罪が当たり前の社会に、私たち全ての人間は生まれ、罪が当たり前の者として育ってしまうのです。どんな善人でさえも、神様に認めていただけるほどの、天国に入る事ができるほどの十分な善を、持ち合わせていないのです。

 しかし、イエス様は、そんな私たちを憐れんで下さいました。私たちの罪のため、何の罪もないご自分が罪人とされて、十字架にかかり、身代わりに罰を受ける事よって、赦して下さいました。イエス様によって、神様との平和が与えられたのです。この事を信じる全ての人に、この赦しは提供されているのです。

 イエス様は癒し主であり、平安を与える方、心の貧しい者に、天の御国をお与えになる方です。このお方のゆえに、地の果てにいる私たちにも希望がある。試練があっても、決して打ち倒されない希望があります。イエス様が、私たちの祈りを聞いて下さるのです。困難はあっても不可能はない。試練にあっても希望はなくならないのです。命をかけて愛して下さっているイエス様が、私たちに良いものを、一番よいタイミングで、お与え下さるからです。だから希望がある。だから、夢を見る事ができるのです。

 イエス様はどんな夢を持っていらっしゃるでしょうか?神様は私たちに、何を期待していらっしゃるでしょうか?神様の視点が必要です!まず私たち自身が、この事実を心で感じたい。キリストにある、夢を抱いて生きていきたい。

 キング牧師は暗殺されたが、その現場のホテルは、改築され、市民権運動博物館となって、今も記念となっている。暗殺の前日にキング牧師がおこなった最後の演説は、詳しくは以下のようなものであり、自らの死を予見したかのようなその内容は“I Have a Dream”と共に有名なものとなった。

 …前途に困難な日々が待っています。 でも、もうどうでもよいのです。 私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。 長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。 神の意志を実現したいだけです。 神は私が山に登るのを許され、 私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、 ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。 神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

 私たちもその時を待っている。この国でも、そのような光景を眺める日を。
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