SSブログ

救いの証し [伝道師のつぶやき]

 おゆみ野キリスト教会の伝道師をしております、永田です。

 私の両親はクリスチャンだったので、聖書の話を聞いて育ちました。

 しかし、「クリスチャンの家庭である」という事と、「自分がクリスチャンになる」という事は、違いまして、中学生にもなると、当然ながら、親はキリスト教を信仰しているが、自分は違う、と思うようになったのです。

 しかし、高校受験が始まると、自分の人生の意味について、考え始めるようになりました。「こんな勉強は、何の役に立つのだろうか?」「やりたくない事をやらされて、その途中で死んでしまったら、人生は何の意味があるのか?」「死んでしまったら、どこにいくのだろうか?」「死んで終わりなら、そもそも今生きていることに、何か意味があるのだろうか?」

 やがて高校に進学すると、どうせ人生一回きりだから、と、よろしくない事も含めて、やりたい事をひたすらやりました。しかし、それで満足するどころか、空しさはなくならず、同じ疑問に、自分の答えがないまま、過ごしていました。

 その時、親の勧めで、Hi-b.a.という、高校生に聖書を教えている団体のキャンプに参加する事になりました。

 そこには、クリスチャンの、しかし普通の高校生達が、たくさんいました。宗教に入るなど、死ぬ直前にすればいいこと、(いつ死ぬかなんてわからないのに)と思っていたので、まずそれに驚きました。

 もう一つの驚きは、そのクリスチャン高校生たちが、本当にいきいきと、楽しそうにしていたのです。自分のイメージとしては、真面目で堅苦しいものだったのですが、違いました。しかも、やりたい放題やって人生を楽しもうとしている自分よりも、彼らは人生を楽しんでいるようでした。

 自分は、その時、そのクリスチャン達をばかにして、「お前らなんでそんなにへらへらしてるの?ばかじゃねーの?」と、意地悪い心で聞きました。しかし、その時、そこにいたクリスチャンの高校生は、「ははは、神様を信じているからかな。」と、軽く受け流して、答えたのです。

 その時、初めて、自分の中に、「この人達が信じているものはなんだろう?」と、聖書の話を真面目に聞こうとする気持ちが生まれたように思います。

 そのキャンプでは、夜に聖書の話しの時間があり、そこで、「私の目に、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」という聖書のイザヤ43:4の言葉からの話がありました。

 「神様の目に、私たちは価値ある存在だ。しかし、私たちは神様に背き、罪の心、自己中心の心で、人生を台無しにしてしまう。しかし、そんな私たちを救うために、何の罪もないイエス様が、十字架にかかって死んでくださったのです。神様はイエス様を与えるほど、あなたを愛しているのです。」そんな内容だったと思います。

 その話を聞いた時、それは本当に自分の事だ、と思いました。神様からいただいた人生を、好き勝手に歩んで台無しにしてしまっている自分。しかし、それでも神様は愛し、悔い改めて帰って来なさい、と招いて下さっている、と感じたのでした。それで、そこのスタッフの人に助けられ、神様に悔い改めのお祈りをし、クリスチャンになりました。

 その時は、来週になったらやめてるだろうな、と思ったのですが、今も、神様の恵みによって、クリスチャンです。この20年、自分の方は山あり谷ありですが、神様は変わらず、真実な方でした。神様、これからもよろしくお願いします。

永田
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。