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マルコ10:13~14 [説教]

「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」マルコ10:13~14

 イエス様が地上で活躍されたときの年齢は、30歳~33歳だそうですが、若いですね。うちの息子は4歳になりますが、親しくさせていただいている若いお兄さんを見つけると、キックやパンチを浴びせかけ、戦いごっこに誘います。

イエス様の所に連れて来られた子供達がイエス様にキックやパンチをしたかどうかわかりませんが、弟子達が止めたところを見ると、まああり得ないことではないかもしれないな、と想像します。マイクやスピーカーのない当時、子供が騒ぐと、大人達がイエス様の話が聞けなくなる、と思ったのでしょうか、弟子たちは彼らを邪魔に思い、追い返そうとしました。するとイエス様は憤った、というのです。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」

 弟子たちは、子どもたちがイエス様の話を聞いても、どうせわからないだろう、と思ったのかもしれません。弟子達は、偉い学者達や、身分の高い役人、話が通じる大人などに、イエス様の話を聞かせたかったのでしょう。弟子たちは、イエス様のことを考えていたつもりでしたが、実際は大人達や偉い人たちの御機嫌をとろうとしたのかもしれません。それで子どもたちを追い散らしたのでした。しかしイエス様は、イエス様を素直に受け入れている子供達の方を、喜んで迎えいれたのです。

 弟子たちが合わせようとした人々は、その時、確かに聞いているかのように見えました。しかし、この後すぐに、イエス様を、神を冒涜する大うそつき、として、十字架にかけろ、と訴えるようになったのです。

 イエス様の話の最中うるさくする、どころの話ではありません。彼らは、「この人には何の罪も見られない」というピラトの声に耳をふさぎ、その声をかき消すように、「十字架につけろ!」と叫びたてたのです。

 また、彼らは、子供がイエス様を大好きなゆえにまとわりついて、キックやパンチをするどころではありません。イエス様をむちうち、いばらの冠をかぶらせ、その手足に釘を打ち、十字架にかけて殺すものとなりました。

 また、弟子達は、自分たちより弱い子供達を追い散らすことはしました。しかし、自分たちより強い人々が、十字架にかけるためにイエス様を捕まえに来たときには、話を聞かせたのではありません。恐れて逃げてしまいました。

 イエス様のため、と言いながら、イエス様の心を十分考えていない、それが私たち人間です。イエス様のため、と言いながら、弱いものをしいたげ、強いものにへつらうのが人間です。

 しかしイエス様は、その人々のために、十字架の上で、「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られました。この矛盾だらけの罪人を、イエス様はそれでもなお愛し、とりなして祈って下さいました。

 ですから、私たちは、悔い改めと感謝をもって、このイエス様のもとに近づきたいのです。

 子供のように神の国を受け入れる心をもって、イエス様に近づきたいのです。他人への配慮も持ちながらも、イエス様が招こうとしておられる人々を大事に思いたいのです。

 私はこの点で失敗するものです。色々なことを心配しすぎて、人に気をつかいすぎて、イエス様が招いておられる人々を追い散らしていないだろうか。イエス様に素直に近づこうとしている人々や、愛情を持って近づこうとしている人々を、見過ごして、いや追い散らしてはいないだろうか。

 イエス様、申し訳ありません。もうちょっとそのへんのセンスをいただきたく思います。

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