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ご無沙汰しております [伝道師のつぶやき]

皆さん、お久しぶりです。
すっかり放置してしまいまして、長らくご無沙汰しました。

6月10日の下見に始まって、3週間にわたる塩釜解体プロジェクトが無事終わり、戻ってきました。
http://www.hopemiyagi.org/HopeMiyagi/Blog/entori/2011/6/23_10riburinoappudetoFinally_Updates.html

 また、その間には、教会の決算や予算の承認のための会員総会というものが教会にはあるのですが、会計資料が間に合わなかったようで、再度教会員を臨時で3会衆から招集して、臨時総会で承認しました。

 牧師になるための、教師試験というのもあったのですが、論文や説教の原稿を提出しましたが、もっとまじめにやってこい、ということで、あえなく再提出・・・

 論文の方は、「宗教改革における万人祭司・預言者・王について論ぜよ」、という問題ですが、前回再提出となったので、ほぼ指導されたとおりにがんばったのですが、文を整えきれず。切り貼りした部分のミスや、参考文献の表記の仕方とかもまずかったまま出してしまったようで、その場で指摘され気づく。アウチ・・・

 あと、今回16世紀以外の宗教改革も取り扱ったのもあだとなったようで、それはいらん、とのこと・・・

 いいじゃないかーー!!!自分の中では旧約聖書の中のヒゼキヤ王、ヨシヤ王の宗教改革だって宗教改革なんだから、テーマに沿っていると思ったんだもーーーん!!宗教改革って聖書に戻ろう、ってことで間違ってないでしょうがー!こんな漠然とした問題で、なんでカトリックに対するプロテスタントだけに絞らないといけないんだよーー!うう・・・

 説教の方は、講解説教「エレミヤ2:13」、教理説教「再臨」、テーマ説教「牧会者の精神衛生」の3つが出ているのですが、私のカラーが出すぎているので、もっと自分を消すように、とのこと。

「ごちそうを永田君が食べて、それでどう思ったかを他の人に説明している感じ」

・・・・・

えーと、わかりやすくお願いします・・・

「聖書の言葉をあなたが読んで、どう思ったかを他の人に説明しているのではだめなんですよ。もっと準備をしっかりしなさい」

 一応注解書とか読んで、わかりやすく伝えるため、自分の言葉で準備しているのですが、わかりやすいのはいいが、もっと自分の色を消すように、とのこと・・

 「書かれた年代とか、活躍の時期とか、そこらへんちゃんと調べてないでしょ」

 調べたよ!!エレミヤはヨシヤ王の時代からバビロン捕囚後でしょ!!今回の箇所は初期のはずだから、まだヨシヤ王の時代で、前の悪かった王様の・・・・とか、20分の限られた時間で、そこらへんの細かい説明聴きたいか??自分が聴いてたら寝ちゃうよ、もう!と心の中で叫んでいましたが、基本チキンですので、言えず。

 「若い人の集会を担当しているので、それ向けに準備したんです」と説明したのですが、これは長老牧師の前での試験ですから、聴くのは若い人ではなく、牧師や長老などの年配の方々ですので、もっとちゃんとやれと。

 はい、そりゃそうですね。すみませんでしたー。

 また、選んだ聖書本文以外の、前後のところにまで話しがおよびすぎているので、本文に絞って、本文を深く掘り下げて話すように、とのこと・・・

 教理説教、テーマ説教だったので、本文を読む時間を考慮して、選んだ箇所を少なくして、範囲は広くとったのですが、と説明すると、では本文の範囲を広くとるように、とのこと。

それはしょうがないのではないだろうか・・・と思いつつも、もう絡む気力もなく・・・

あなたみたいなのはね、長老教会以外では通じるかもしれないけれども、長老教会では通じないんですよ、やりなおーーーし!

はーーい、すみませーーん

ということで9月10月に再提出、となりましたTT

 なんかこのままいくと10年くらいかかるのではないだろうか・・・

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。」詩篇121:1~2

 私が住んでいるあすみが丘という地域は、昔山林を切り開いて住宅街にした地域だそうで、地盤がしっかりしているようです。現在は重機で山をけずったりできる時代ですが、昔は山は動くことがないもの、移り行くことがないものの象徴でした。

 また、この詩篇が書かれたイスラエルのあたりは、山が多い地方です。車や、交通機関が発達している現代と違って、徒歩や動物を連れて旅をする時代、山は乗り越えるのに一苦労します。

 私達は、山積みになった問題に頭を抱えることがあります。疲れ果てて、どうやって乗り越えていったらよいか、頭を悩ませることがあります。この作者も言います。私の助けはどこから来るのでしょうか。

 「私の助けは、天地を造られた主から来る。」

 山、も含めて、天地を造られた神様が、私達を助けてくださる、なんと力強い約束でしょうか。天地を造られた神様が、その中の小さな山の前でうずくまる、もっと小さな私達に目を留めて、助けてくださる、というのです。

 天地を造られた神様だから、天地の中で起こるさまざまな出来事をも、コントロールすることができるのです。この創造者神様が、ちっぽけな私達に目を留めて、助けを与えてくださる!

 塩釜教会隣の建物を解体し、廃材をトラックで多賀城市(塩釜教会ですが、多賀城市にあります。東京ディズニーランドが千葉にあるようなものです)に運びました。そこでは震災で被災した家屋の廃材が、山のように積み上げられていました。行く途中の、別の公園だったところ、空き地だったところにも山積みになっていましたが、これ以上つめなくなって、高速のインター予定地だったところがごみの仮置き場になっていました。そこにたどり着く前の遠く離れた場所からでも、そのごみの山が見えます。敷地内も、分別ごとに、木材の山、プラスチックの山、ガラスの山、畳の山、ごみの山、と、それぞれうずたかく重機で積み上げられていました。毎日大量のごみが今も運ばれてきています。この山が、この町の現実なのだ、と痛感しました。

 天地を造られた主、神様が、被災された方々を支え、助けをお与えくださいますように。教会の証しをお用い下さって、神様が下さる希望が、人々に与えられて行きますように。

 私の試験も・・・
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